第26回知楽会は、防衛省・自衛隊市ヶ谷地区を見学しました(市ヶ谷台ツアー)。前日の雨も止み快晴で、気温も上昇し、見学日和となりました。
日時 | 2024年11月27日(水) 13時30分~15時40分 |
場所 | 防衛省・自衛隊 市ヶ谷地区 |
参加者 | 19名 |
1.経路
正門(集合)→大本営地下壕跡→市ヶ谷記念館(旧陸軍士官学校跡を移設)→厚生棟→正門(解散)
2.内容
(1)正門集合
防衛省案内者(説明員)は、男性1人(元文官であった人)と女性2人のチームで、すこぶる親切な対応だった。
13時10分より少し前から集まった人に対して「点呼」が始まり、運転免許等で氏名と住所の確認。手荷物検査も実施。確認のとれた人 から、入門証(ICチップ入り)を手交し入門。13時20分までに参加者全員が集合した。
入門後は正門左手の「待機所」(ベンチあり)に集合し注意事項の説明。写真撮影は、「映像」「文書」等著作権のあるものは禁止であるが、敷地内部はほとんどが撮影OKだった。
(2)大本営地下壕跡
待機所から左手の階段をあがり、徒歩で敷地内を5分程度移動したところに地下壕跡がある。途中、昨日の雨で落ち葉が多数落ちており、滑らないように注意しながら歩く。
地下壕は昭和18年造営。鹿島建設が中心となって工事を担当。当時は、つるはし、スコップ等人力による造営。旧陸軍大臣室、炊事場、トイレ跡等が見学できる。
コンクリートの厚さは?との会員の質問は、説明員から「Good Question」と褒められる。地下壕の高さは4mで、コンクリートの厚さは1m。その上に地上の土が10mあるので、地下15mの位置にあるとのこと。戦後、建設会社が中心となり、コンクリートの厚さ・鉄筋の種類・数を、コンクリートを剥がして調査した。調査の跡が残っている。
正式な記録はないが、1945年8月9日にポツダム宣言受諾の聖断が下ったのちに、阿南陸相が幹部を集合させたのは、おそらくこの地下壕であったろうとのこと。
戦後は進駐軍が接収した。地下壕の壁に「No Smoking」等の英語表記が残っていた。
立ち入れないところは、タブレットの映像で見ることができる。(撮影禁止)
(3) 市ヶ谷記念館
元陸軍士官学校、大本営陸軍部、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監部跡。元々は現在の防衛省A棟の位置にあったが、防衛庁移転に伴い、現在の土地に移設一部(入口の車寄せ、講堂、2階の便殿(天皇の休憩所)と総監室)を復元したもの。
①講堂
市ヶ谷台の歴史についてビデオ鑑賞後、自由見学。
・江戸時代は、尾張徳川家の上屋敷(5万坪)
・明治7年陸軍士官学校条例の制定により陸軍士官学校開校。
・大正12年 関東大震災により崩壊、これより鉄筋コンクリートの近代建築に改装された。
・昭和12年 士官学校本科、座間移転
・昭和16年 士官学校予科、朝霞移転
代わって大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部設置。 ・昭和20年 終戦、進駐軍接収
・昭和21年 極東軍事裁判法廷設置
・昭和34年 返還
・昭和35年 陸上自衛隊東部方面総監部設置
・平成12年 防衛庁(当時)が六本木より市ヶ谷に移転
講堂内は薄暗かったが、軍事法廷の間は、影ができないくらいの明るさになるように照明を設置してあったという。また、左右の壁や天井は、傾斜して玉座の天皇に遠近法で焦点が合うように作られているなど天皇に配慮した設計の数々があり、館内で詳しく説明してくれる。
講堂の床は、移設の際に位置が分かるようにシールを貼っていたが工事後に剥がす際にニスも一緒に取れてしまった跡が残っている。
自由行動の際に、壇上の玉座の間の下段まで上がることができ、カメラ撮影も自由。
玉座の床は、箱根の寄木細工。(紫檀とチーク材)
②便殿の間、総監室見学
便殿の扉は、両方向開き(通常は招き入れるので内開き)壁は空洞にして、地下か ら冷気を送風していたという。
総監室では、三島由紀夫が自決したのはこのあたりとの説明。乱闘時の刀傷が扉に残っていた。
担当者から、三島氏の演説はヘリが飛び回り騒音でほとんど聴きとることができ なかったが、唯一、文化放送が記録したものがかろうじて聞き取れると聞いた。
(3)市ヶ谷記念館西側
・インドネシアから送られた建国の父スディルマン将軍の像
・六本木にあった「旧歩兵第一連隊正門」の遺構
(4)厚生棟
自衛隊のPRビデオを鑑賞し、展示物を観る。バーチャルで、自身の映像に自衛隊の制服を重ね、制服姿を撮影できる。
売店では様々な自衛隊グッズが購入でき、買物を楽しんだ。
(5)正門(退出)
厚生棟1階に再集合し、人数を確認後正門から退出。
市ヶ谷台は、標高31.6mと結構な高低差があり、建物から正門に行くにはエスカレーターを使う。
後記
すべて徒歩による見学で、1万歩ほど歩きました。歴史ある建物など見どころも多く展示も充実しており、「百聞は一見にしかず」を感じました。
見学人数に制限があり、今回参加できなかった人にはあらためてお詫び申し上げます。来春同ツアーを再企画予定ですので、次回ぜひご参加下さい。
以 上(山崎哲也、見目久美子)