私の「生涯学べる100歳大学」第一歩も
西井昇(468)

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2025年3月1日(No. 432)
西井昇

私は73歳で現役の仕事からリタイアしました。それからしばらくしたある朝、突然激しい目眩に襲われ救急車で病院に担ぎ込まれました。リタイア後の不規則な生活が原因でした。私は真剣に何か新しいことをしなければと考えました。そんな折、東京都立大学で「生涯学べる100歳大学」として2019年に開設されたプレミアム・カレッジを紹介していただきました。早速、受験して2020年の4月から大学に通い始めました。2024年3月に4年間の研究を修了したのを機会に私の第一歩を振り返ります。

私は、プレミアム・カレッジの山田幸正特任教授(建築史)のご指導のもと、『地方にある世界文化遺産の持続可能な開発』をタイトルとして研究に取り組みました。

UNESCO世界遺産条約が1972年に採択されて以来、遺産登録は増え続けました。しかし一方で、それら遺産が危機に瀕する例も次々と出てくるようになります。我が国では、2010年前後から地方での世界文化遺産登録が相次ぎました。「石見銀山」、「平泉」と「富岡製糸場」です。これら遺産には共通の課題「関心の薄れ」と「少子高齢化」があります。遺産を抱える地域社会は、この課題にどのように取り組んでいるのでしょうか。登録後の遺産の保存と活用における地元住民活動が研究対象でした。

どの地域も「持続可能」という共通のゴールを掲げますが、それら活動の展開と成果はその地域の特徴を色濃く反映しています。持続可能性強化に繋がると思われる事例を抽出し、その背後ではどのような機能が働いているかを分析しました。

まず学習・広報活動の分野に注目しました。石見銀山と平泉では、それぞれ学校教育「石見銀山学習」と「平泉学」が実施され、生徒たちは体系的な教育を受けます。一方、富岡製糸場では製糸場を現場とする学習が訪問者を対象に行われます。これらを比較すると、石見銀山と平泉の大人も参加する学校教育活動が持続可能性という点でより有効に機能していると考えられます。専門家による平易で体系的な遺産に関する知識やリテラシーなどが伝達されます。つまり、『社会的使命を伝達する機能』①が実践されているのです。

二番目にNPO法人の活動に注目しました。石見銀山では、8つの地元NPO法人が補完し合う体制ができています(図1)。それに比べて、平泉や富岡製糸場ではただ一つのNPO法人しか活動していません。石見銀山では、NPO法人間で『摺り合わせ・統合』の機能②が働いて、社会的使命の正しい理解を助け持続可能な開発への布石となります。

三番目に経済的インセンティブを求める活動に注目しました。石見銀山では、地元企業が自治活動に参加するようになり、経済の活性化が住民活動の活力・情報発信力につながることを経験しました。これらには、持続可能性を高める効果が認められることから『実践する活力を付与する機能』③が重要と言えます。

上記のように導出された①、②、および③の背後で働く機能を統合し、連携して稼働する状態を実現すれば将来目指すべき方向が見えてくると考えられます。これを『持続可能へのシナリオ』モデル(図2)としました。続いて、このモデルと現状を対比して眺め住民活動は今後どのようであれば良いかを推察して『課題をチャンスに変える』提言を行いました。

研究対象となった現地を訪問して地元住民の反応を「肌で感じる」ことに努めました。この一連の訪問旅行のエピソードを二つ添えます。

エピソード1:石見銀山訪問中、ガイドの方から小説『しろがねの葉』(2023 年の直木賞作品)の読書を勧められました。当地を訪れた著者が耳にした「鉱山労働者は短命」「石見の女性は生涯3人の夫を持った」という話に興味を持ち、調査を重ねて小説に仕上げたものだそうです。早速読んでみると、間歩(坑道)で働く当時の人々の人生をえぐり出す残酷な物語でした。しかし、そのガイドご本人からその後意外な反応がありました。1時間以上に及ぶ電話で今度は、「小説では暗い面が強調されすぎている。」 「強制労働はなかった。だからこそ、金儲けを夢見る若者が集まり、銀山全体で人口は10 万人を超えたこともあったと推定できる。」との事です。小説によって私が当初抱いた印象とは真逆のこの明るい「意外性」が、私の石見銀山に対する理解を一層深めてくれたように感じます。

エピソード2:富岡製糸場工女時代を回想した『富岡日記』を読みました。志願した松代藩工女の集団が、引率者に連れられて富岡まで何日も歩いて旅したシーンがあります。碓氷峠を越えて田んぼの中にそびえ立つ富岡製糸場の高い「煙突」を遠景に発見した時の著者の心踊る言葉が印象的です。現存する富岡製糸場の「煙突」は4代目だそうですが、老朽化が進んで補修工事が必要とのことです。クラウドファンディングで8千万円が集められました。

プレミアム・カレッジでの勉学は、私の専門(化学)とは馴染みのない文系中心の世界で、当初は苦痛の毎日でした。しかし、そのうちに予期もしなかった展開がありました。私は、ゼミで研究を始めるにあたって何をテーマにしたいのか思いつきませんでした。悩みを担当教授に相談して「世界遺産」に関わる研究テーマを頂戴しました。自分ではイメージすることすらできなかった事の研究には大変な戸惑いと困難が伴いました。しかし、それは裏を返せば新鮮な経験と目の覚める発見の連続が約束されることであった事に後になって気付きました。 これが異分野で勉学することのトキメキです。

以 上


にしい のぼる(468)
(理科実験グループ、技術部会、環境教育分科会)
(元・デュポン)

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