2025年4月1日(No. 434)
市古紘一
蕎麦の世界は奥が深いと言われているが、またその生産地は日本全土に広がっており広い。日本に蕎麦栽培が伝来した時期については諸説あるが、定着した時期は弥生時代と言われている。以降日本全土に蕎麦は広がっていくが、当初は米に玄そばを混ぜて食べたり、製粉してそばがきにしたりして、米の代替物であった。現在我々が食べている蕎麦切りが主流となったの16世紀ころであり、江戸文化が花開く中で蕎麦も庶民の食べ物として、江戸から日本全土に広がっていった。

また蕎麦は他の穀物と比較してやせ地でも良質な蕎麦が育つと言われており、日本全土で栽培されている。しかし美味しい蕎麦を収穫するには、気温の低い北海道は別として、海抜1000mくらいで朝霧の出る、日あたりと水はけのよい土地が適しており、豊かな良い水が必要である。
DFの蕎麦打ち同好会は2006年にスタートして以降、蕎麦打ち以外にほぼ2カ月1回主に首都圏の蕎麦屋を巡っており、その延べ数は100店を超えている。さらに年に1回程度全国の蕎麦産地を回っている。地域によって栽培される蕎麦は異なり、その打ち方も特色があり、さらにその食べ方も様々である。
今回は同好会で出かけた地域に、個人旅行で出かけた地域も加えて、北から南まで広く特色のある世界を見ることとしたい。

山形県・「村山の板そば (2014年11月訪問)
蕎麦王国山形県には、最上川流域に「尾花沢・大石田・村山」の三大蕎麦街道がある。
蕎麦街道発祥の地「村山蕎麦街道」(最上川三難所蕎麦街道)にある蕎麦屋「あらきそば」は創業1920年の老舗で、山形蕎麦の代表である「板そば」を食べることができる。長い木箱もしくは板に蕎麦を盛りつけ、農作業の後の集会等で供されたためこの名がつけられた。木板は水分の吸収が良く蕎麦を盛付ける器として最適である。当店では現地栽培の「でわかおり」を打ったやや黒目の蕎麦を秋田杉の板に載せて供される。
「農村伝承の家」で、「でわかおり」の新そばを皆で打つことができた。


福島県・「山都町宮古の水そば(幻のそば)」(2023年4月)
2019年に同好会で企画するも台風でキャンセル、どうしても「幻のそば」を食べたくなり個人旅行で出かけた。磐越西線の山都駅から狭い山道を車で登ること20分、30戸の集落「宮古」につく。コロナ前には十数件あった蕎麦屋も5軒となっていた。集落の奥にある「宮古そば 権三郎」で憧れの「水そば」を食べることができた。この地の水は飯豊山から流れる伏流水で、作家村松友視氏が「夢見の水」と名付けた名水である。「水そば」はそばつゆではなく「夢見の水」につけて食べる。蕎麦の香りと味をしっかりと味わうことができる。交通の便は悪いが、貴重な蕎麦を楽しめる宮古であった。


福島県・「大内宿の高遠そば(ネギそば)」(2015年11月)
会津鉄道の湯野上温泉駅から車で20分、40軒の茅葺屋根の集落が大内宿。大内宿は会津城と下野の国を結ぶ街道にあり、宿場町として栄えていた。江戸初期信濃高遠の藩主保科正之が転封により会津藩主になった際、多くの蕎麦職人を高遠から連れてきた。
大内宿には現在でも15軒の蕎麦屋が営業している。集落の中ほどにある「三澤屋」ではその「高遠そば」を食べることができる。大根おろし汁で食べるのが「高遠そば」の特徴であるが、大内宿では長ねぎを一本添えて蕎麦を掬って食べる。ねぎをかじりながら食べるので薬味となり、蕎麦のうま味は増す。食後裏山にある寺の境内から見下ろす茅葺屋根が並ぶ風景は絵になる。


茨城県・「金砂郷、水府」の常陸秋そば(2018年1月)
袋田の滝も凍る真冬の金砂郷に個人旅行できた。
常陸太田市を流れる久慈川の本流・支流流域にある金砂郷・水府地区は国内最高ブランドの「常陸秋そば」の産地である。清廉な九慈川の水、水はけのよい土地、さらに栽培に適した気候が相まって日本一と言われる美味な蕎麦を作り出した。首都圏の有名蕎麦店からの需要も多く、現在では他地域での生産も増えている。水府を北へ進むと土壁のカントリ―ハウス調の一軒家「慈久庵」がある。店主は25年間店の周りの畑で常陸秋そばを栽培し、その蕎麦を打ってお客をもてなしてきた。「万作豊穣恒久美故郷」にかける意気込みは変わらない。
水府地区には2012年に同好会の1泊旅行で、現地で栽培から製粉まで一貫して行っている「水府愛農会」に蕎麦づくりの視察に来ている。


新潟県・「十日町のへぎそば」(2018年5月)
新潟の蕎麦と言えば「へぎそば」である。通常小麦粉を繋ぎに入れて蕎麦を打つが、代わりに布海藻(ふのり)を使うのが新潟の伝統食である。なお布海藻は十日町の重要産業である絹織物にも糸の張りを持たせるために使用されている。打った蕎麦を片木(へぎ)と言う木の容器に一口程度盛り付けるので「へぎそば」と言われている。十日町駅から車で10分「名代生そば由屋」の蕎麦は滑らかでとコシの強い蕎麦であった。
「まつだい郷土会館」で待望の「へぎそば」打ちを行った。そば粉500gに布海藻250g入れて打ったが、布海藻は強力で腰が痛くなった。


長野県・「戸隠の戸隠そば(日本三大蕎麦)」(2011年10月)
日本三大蕎麦の一つ「戸隠そば」を訪ねて、長野駅からバスで1時間、戸隠高原にきた。戸隠高原は海抜1200m、一日の寒暖の差が大きく、朝霧の出る地形で霧下そばと呼ばれる最高の蕎麦が栽培されている。戸隠神社宿坊に泊まる参詣者を蕎麦でもてなしたのが、「戸隠そば」の始まりである。中社の近くにある宿坊「鷹明亭辻旅館」で極上の錦秋蕎麦懐石を堪能した。ご主人が打つ十割そばは喉ごしの良い美味な蕎麦であった。
翌日は蕎麦博物館内の道場で戸隠蕎麦打ちを体験した。座敷に打ち板を置き、正座して打つ独特の打ち方に戸惑いながらも美味しい蕎麦を打ちあげることができた。


長野県・「奈川のとうじそば」(2018年10月)
蕎麦王国長野県には一風変わった蕎麦の食べ方がある。松本市の西南に位置する奈川地区は、標高1200mの渓谷地帯で、滋味と濃い甘味の奈川在来種そばの生育地である。「手打ちそば福伝」では「とうじそば」という独特な食べ方で在来種を食べることができる。静かな山村にある「福伝」の座敷上がると、各テーブルには大きな鍋がぐつぐつ煮立っている。鍋には山菜、キノコ、油揚げ、鶏肉が入っている、「とうじ」と言われる竹で編んだ小さなかごに一口大の蕎麦を入れて、鍋に浸す。その蕎麦をお椀にとり、鍋の野菜とつゆをかけて食べると、口当たりの良い滑らかな蕎麦は絶品である。雪も多い寒冷地のごちそうであろう。

松本市内には非常に多くの蕎麦屋があり、現地の美味しい蕎麦を楽しむことができ、 蕎麦好きにとっては天国である。

長野県「伊那市高遠の高遠そば」(2016年10月)
伊那市高遠地区の蕎麦の歴史は長い。奈良時代玄そばを持ち歩いていた修験者がこの地に寄り蕎麦を栽培したのが始まりと言われている。高遠の蕎麦は大内宿に伝わり「高遠そば」と称され大人気となり、逆輸入の形で高遠に戻ってきている。桜で有名な高遠城址公園前にある蕎麦屋「壱刻」はその伝統を受け継ぐ店の一つであり、三種の蕎麦を味わうことができる。1枚目が喉ごしの良い十割そば「まる」、2枚目は粗挽きと細引きのブレンド十割そば「ますらお」、3枚目が味の濃い粗挽き十割そば「くろ」である。
当地には素晴らしい在来種そばが収穫されていたが、一時絶滅の危機にあった。地元の有志によって再生し、現在では大変な人気となり各地から人が集まっており、蕎麦によるまちおこしに繋がっている。


福井県・「武生の越前そば」(2013年11月)
福井県の蕎麦生産量は第5位であるが、在来種の質が高く、蕎麦人気は非常に高い。

1977年昭和天皇が福井に来られたとき、戻られてからも「あの越前の蕎麦が・・・・」と言われて、さらに越前蕎麦の名が高まった。武生は福井朝倉家の本田家老の地元であり、零細な地に蕎麦栽培を奨励したのが始まりである。武生駅から5分、1909年創業の老舗「そば蔵谷川」では地元の粗挽き十割そばを食べることができる。在来種の玄そばを殻ごと石臼で自家製粉した粉を打ち、おろしを蕎麦のうえに載せおろし汁をかけて食べる。蕎麦の香りとおろしの辛味がマッチした極上の蕎麦を味わえる。一味違った蕎麦を味わうには越前蕎麦は最適である。
大野市に向かう静かな山村にある「みやま長寿蕎麦道場」において、皆で「美山在来種」の蕎麦を打った。

兵庫県・「出石の皿そば」(2023年7月)
山陰本線豊岡駅から、バスで小一時間、城下町出石は蕎麦の街である。人口9000人の町には今でも45軒の蕎麦屋が軒を並べ、たくさんの観光客が蕎麦を目指してきている。1700年ころ信州上田藩主であった千石政明が出石藩に転封の際、多くの蕎麦職人を帯同してきた。そして出石焼の小皿に蕎麦を載せて食べる方法を編み出し、「皿そば」と称したのである。バス停の近くにある「さらそば甚平衛」では伝統的な「皿そば」を食べることができる。絵柄のある白磁の小皿に蕎麦が載って出てくるが、通常5皿で1セットである。追加は1皿からできるが、男性は10~15皿が標準と言われている。静かな城下町で食べる美しい焼物に盛られた「皿そば」の味は格別である。


島根県・「出雲の出雲そば」(2008年9月)
戸隠そば、わんこそばと並んで日本三大そばと言われている蕎麦が食べたくなり、山陰を旅行した際、出雲神社近くの蕎麦屋に飛び込んだ。江戸初期松平直政が信州松本藩から転封してきた際、多くの蕎麦職人を出雲に連れてきている。そしてやせ地の奥出雲地域において米の代わりに蕎麦の栽培を積極的に奨励した。気候風土が蕎麦栽培に適しており、現在の蕎麦王国に繋がっている。殻のついた玄蕎麦をそのまま石臼で挽くことにより、強い風味とやや黒色の色合いがマッチした「出雲そば」は根強い人気がある。食べた方は二通りある。小さな朱塗りの三段の器の盛られた蕎麦に、青ネギ、のり、かつおぶし、おろし等を載せて食べる「割子そば」と、「釜揚げそば」で食べる二通りである。
出雲に行ったのは16年以上前で、飛び込んだ蕎麦屋は旧大社駅前の「手打ちそば本家 大梶」ではないかと思うが、記録も写真も残っていない。再訪したいと思っている。
日本各地の蕎麦を訪ねてきたが、各地域の蕎麦は異なり、また食べ方も異なっている。ユネスコ無形文化遺産に登録されて今注目されている「和食」の中でも、特に「蕎麦」はその土地によって様々な味わいを楽しむことができる。また蕎麦の名産地には、水も上質であることから必ず良い日本酒がある。まだ行っていない地域にも足を延ばしてみたいと思っている。
以 上
いちこ こういち(338)
(観光立国研究会、蕎麦打ち同好会、俳句同好会、歌舞伎同好会)
(元・朝日生命)