~ 旅は楽しみであると同時に事物の源を訪ね
その成り立ちを学ぶ格好の場 ~
2025年5月16日(No. 437)
田中久司
昨年夏までガバナンス部会世話役の田中久司です。現在同部会の活動は休止して、個人的に Python プログラミングによるAIと歴史の研究をしています。
本エッセイでは、私の人生で最も永く趣味として楽しんできた「旅」で見聞して印象に残っていることを書きたいと思います。

初めての「源(みなもと)」訪ねる旅
私は昭和22年東急東横線都立大学駅からほど近い目黒区柿の木坂で生れた。当時はそばをのどかな小川(呑川支流)が流れており、幼稚園生であった私は30分ほど歩いて遡りその「源」を確認したのが最初の旅だった。小学校に入り自転車を買って貰うと、東横線沿いに桜木町まで、また多摩川を遡り稲田堤へ、下っては羽田空港まで往復した。
事物の変わり得ることを知る
中高時代はワンダーフォーゲル同好会に入り、伊豆・房総の山々/山形大朝日岳/早池峰山/若狭湾などテントを担いで野山を歩き回り、道なき道を藪漕ぎしたり、寺や農家の納屋にもぐり込んで寝たり、テントで歌い続けたり文学論を戦わせたりした。
山形の大朝日岳登山の初日、国鉄長井線鮎貝駅から麓の朝日鉱泉までの山道を5万分の一の地図を頼りに歩いた時、途中で「日影」という部落が地図上でありながら地形から判断して確かにそこを通ったのに部落が消えていた事がある。昭和37年のことで炭焼きが廃れて部落が消滅したのだと推測し、産業も街も変遷することを実感した。東京でも薪炭屋がガソリンスタンドに変わっていった。これからはガソリンスタンドが充電ステーションに変わるのであろうか?

知の源
ワンダーフォーゲルは、山岳部の亜流と非難され、それに対しルソーの言葉とされる「自然に帰れ」を拠り所にしたいと考えたものの、当時はルソーに代表されるフランスの啓蒙思想について深く学ばなかったのが心残り。啓蒙思想は近代から現代に至るまで欧米の理性/科学/自由/平等という価値観の「源」であり、この年になってこれを少しでも理解したいと思い、遅まきながら勉強し始めた。近代西洋思想の流れと社会の変革の関連を纏めたのが下図であり、これを現代思想にまで延長し、さらに現在の課題(戦争、格差の拡大、…)を解決する哲学思想はどういうものだろうか?

外国暮らしで日本人の源に興味(人種の坩堝の源は、米国ではなくて日本こそ)
社会人となり趣味としての旅をする機会は少なくなったが、1987年に転勤したニューヨークでの見聞を2つ。私はコネチカット州 Darien という町で家を購入した。ここは黒人は勿論ユダヤ人も入れないほど排他的な町だったが、日本人である我が家は1980年代の “Japan as No.1” のお陰なのか排除はされなかった。
現在では大分変化しているようだが当時は奴隷解放から永年経ていても人種による住居地の区分は色濃く残っており、マンハッタンへの通勤に使う鉄道沿線は、ホワイトカラーとブルーカラーが住む町が交互にあった。またその町で知り合ったハンガリー人とは同じウラルアルタイ語族を話す同胞として仲良くなり、中国人と韓国人は外見で判るが日本人は多様な顔がありよく判らないと言われ、それをきっかけに日本人のルーツに興味を持つようになった。確かに、縄文/弥生/古墳時代と1万年以上続く日本列島の歴史の中で様々な人種が三つのルート(南/北/朝鮮半島)で流れ込みその先はなく、混血したのであろうと思った。人種の坩堝は当時住んでいた米国より日本の方が「源」なのだ。

欧米の所得格差とライフスタイルの違い
また異国への転勤という機会を生かすべく、バミューダやドミニカ等のカリブ海の島々やドライブでニューオリンズや最南端キーウエストまで足を伸ばし、さらに欧州へも飛び鉄道やレンタカーで各国を巡った。家族と一緒の観光旅行ではあったが、欧米での所得格差の大きさとそれに伴う職業の違いが日本より激しいことを実感した。自由/平等/友愛というフランス啓蒙思想の理想はどういう変遷を辿ったのであろうか。
世界一周の船旅での見聞
60歳半ばを過ぎフルタイムの仕事から解放されセミリタイア生活に入り、同窓生、地域の人々、学会やディレクトフォースなどの活動で社会との接点を保ちながら、趣味である旅は続けており、文明の源であるエジプト/ギリシャ/インドへの旅、世界と日本を巡る船旅、欧州ではレンタカーやユーレイルパスによる列車旅などを毎年続けている。その中で最長の旅は2011年の飛鳥Ⅱによる3ヶ月に亘る世界一周の船旅であり、その次は昨年欧州囲碁大会に参加したフランスへの3週間のユーレイルパスでの旅である。これらの旅で見聞したことを幾つか整理してみる。
世界一周の船旅では、
1.海のシルクロードの存在を知り、時代は異なるものの日本列島へのヒトの移動ルートとして中国や朝鮮半島だけではないと、その重要性を感じた。

TOSHの世界遺産検定取得ブログ
2.その年はアデン湾の海賊を避け喜望峰経由アフリカ大陸を回る航路を取ったため西欧の植民地支配の残像を幾つか見た。1つはセネガルの首都ダカール沖の小島ゴレ島の「奴隷の家」で、奴隷貿易の最大の拠点で最初の世界(負の)遺産12件の1つ、もう一つはケープタウンやシンガポールなど各地の植物園であり、そこは胡椒や茶などの商品作物の育成・栽培が目的であり、現在の植物鑑賞とは目的が異なることに気付いた。フランスの自由/平等/博愛のスローガンは、対象が限定されており、博愛は誤訳でありあくまで対象は友に限定された友愛である。

3.フランスのセーヌ川の河口からルーアンまで狭い川を大型クルーズ船で航行し沿岸で手を振る地元の人々の歓迎風景が素晴らしかったが、気付いたのは立派なコンクリートの堤防がなく周りは自然のままの野原が多かったことに驚いた。大雨で水が溢れても全面で受け入れれば決壊場所からの奔流は生ぜず、却って被害は少ないという柔軟な発想に感心した。
4.大西洋はその真ん中を南北に北米プレートとユーラシアプレートが発散型で盛り上がる大西洋中央海嶺が走り、それが海面上に突き出ている島国がアイルランドで、その真ん中を大地の裂け目が横切っており、今でも年に数cmずつ広がっている。火山と地熱源が豊富で電力と温水が各家庭に安価で供給されているという利点もあるが、噴火で航空機が飛行禁止になったり流れ出た溶岩で町が飲み込まれるといった被害もある。。
大西洋は約2億~2億5000万年前にパンゲア大陸が分裂して徐々に形成されており(3cm×2億年=6000kmで大西洋の幅と当たらずとも遠からず)、46億年前の地球誕生した太平洋より歴史が浅く、生息する魚類の種類は数分の1と少ない。日本近海は暖流と寒流がぶつかっているため魚の種類が多いと習ってきたが、太平洋の歴史の長さにより魚類が進化を続け、その結果多様化した恩恵も受けている。この恩恵により日本は寿司や刺身が発展し、植物でも欧州と違い氷河に覆われなかったので植物や野菜の種類が豊富で、日本の食文化の多様性や自然美を愛でる文化の発展の「源」になっていると感じる。

小学館デジタル大辞典コトバンク
「大陸移動説」
フランス3週間の旅での見聞
次に、昨年のフランスへの3週間の旅では、
1.ツールーズにあるエアバスの工場見学を行い、仏独英スペインの4カ国が大規模に共同事業をうまく運営している状況を知った。米国のボーイング/マクドネル・ダグラス/ロッキードに対抗して設立され、本社はツールーズに置かれているが、製造は3カ国で行いフランスで最終組立をするという役割分担とそれを実現する専用の輸送機(写真上)まで開発して4カ国間で平等な生産体制を構築して、現在ではボーイングを凌駕するまでに発展している。
三菱重工のMRJは頓挫し、米国で製造するホンダの小型ビジネスジェット機は生産までこぎ着けており、米国が重視する先端産業に対応するには日本一国では中々難しい。

2.ユーレイルパスを利用してパリからフランス南西部をTGVで周遊したが、車窓からの風景がドイツと異なり風力発電や太陽光発電の設備が殆ど見られず、農村風景が美しかった。これは原子力発電を重視しているためと考えられる。
3.欧州囲碁大会は、欧州を主とする世界各地から千人近い参加者を集めて毎年各国持ち回りで開催運営されている。2024年はツールーズのENAC(国立民間航空学校)で開催された。日本では少なくなっている囲碁愛好者(特に知的職業人)がヨーロッパでは沢山いるということである。
大会期間中フランス各地を回ったが、ラーメン/寿司/おにぎり/弁当等の日本食が普及しパリだけでなくフランス各都市に日本食屋があり、ジャポニズムが流行したお国柄もあり日本文化を高く評価しているとともに文化面での多様性が確保されている。

4.クロマニヨン人が描いた壁画で有名なラスコー洞窟のそばの国立先史博物館と岩陰住居跡(写真右)を見学したが、日本でも縄文草創期は岩陰遺跡が多く、太古の人類は日本でも欧州でも岩陰や洞窟に雨風を防げる生活環境を求めたと考えられる。狩猟採取生活から農耕生活に移り定住が始まったとよく説明されるが、定住無くして農耕は不可能であり、先ず豊かな狩猟採取が可能な地域に岩陰住居や洞穴住居などで半定住生活を続けながら約1万年前に気候が温暖化してから徐々に農業生産にも多角化したというのがヒトの食生活の進歩の道筋ではないかと思う。

5.フランスは、ファッション/グルメ/ワインに象徴される文化に優れた農業国との印象があったが、航空機と原子力という先端産業にも立派に取り組んでおり、食とエネルギーを自前で確保しつつ文化面・工業面も充実しており日本も見習うべき点があると感じた。
国内旅行での見聞(福井県年縞(ねんこう)博物館)
国内旅行ではあるが2023年3月の加賀温泉/若狭湾旅行で訪ねた福井県年縞(ねんこう)博物館で見学した過去7万年の世界標準時計となった三方五湖の1つ水月湖の年縞も世界に誇れる日本の科学資産である。
水月湖は周囲を山に囲まれ直接流れ込む河川が無いことから、その湖底にプランクトンの死骸や花粉などが静かに積み重なってできる縞模様の堆積物が年縞であり、それを丁寧に観察分析することで木の年輪よりも長期に過去の気候変動や自然災害の生起年度が正確に推定できる物差しとなり、そこから得られた研究成果が非常に興味深い。


それを図8に纏めたが、約1.1万年前に最終氷期が終わり、その後現在まで続く完新世に入り地球は春を迎え農耕が始まり世界各地で文明が起こり始めた。ただ日本の縄文文化はそれより古い最終氷期の1万6000年前頃から始まっており、長崎県佐世保市にある泉福寺洞窟では世界最古とされる土器が発掘されていていることは注目すべきである。なお、本エッセイでは詳細触れないが、年縞博物館に隣接してある若狭三方縄文博物館の展示も、縄文文化のレベルの高さと多様性を示しており一見の価値がある。

(年縞博物館の展示およびパンフレットを参考に著者作成)
最後に
これまで私の旅で見聞して感じてきたことを書いてきましたが、その道の専門家から見れば反論・異論などもあるかと思いますが、私見と言うことでご容赦いただきたいと思います。これからも出来るだけ世界各地を旅して見聞を広め事物の源を訪ねその成り立ちへの理解を深め、願わくは将来の行く先まで推論出来るようになればと考えています。
以 上
たなか ひさし(1244)
(企業ガバナンス部会、理科実験グループ、古代史研究同好会) (元・三菱商事)