2025年6月1日(No. 438)
大森聡
森は海の恋人、という言葉は聞いたことがあるだろうか。小中学校の教科書に収められたり、様々なメディアに取り上げられたりしたので、耳にしたことのある人も多いかもしれない。今年4月に亡くなった、気仙沼でカキ養殖に携わってきた畠山重篤氏の活動をひと言で表したフレーズ・合言葉だ。

このひとつの合言葉のもとで括られる取り組み、活動の領域は驚くほどに広く、そして深い。私は植樹活動に一度参加させていただき、その一端に触れたにすぎないのだが、仙台在住者として同じ宮城県に住み、東日本大震災からの気仙沼の復興を見聞してきた者のひとりとして、故畠山重篤氏の活動について、少しだけ触れてみたい。
現在では、NPO法人『森は海の恋人』として、「森づくり」「環境教育」「自然環境保全」の3分野を軸に活動をしているが、その中でも「森は海の恋人植樹祭」は、平成元年から続くコアとなる活動で、今年で37回を数える。
私がこの植樹祭に参加したのは、2018年6月のこと。この活動が始まってからちょうど30回目にあたり、この年は全国から延べ1600人が参加した。事前に知った植樹の背後にある理念・考え方が、なんとも壮大で魅力的だった。カキの漁場は世界中、川が海にそそぐ汽水域に形成されているが、川が運ぶ森の養分がカキの餌となる植物プランクトンを育んでいる。具体的には、カキ養殖に適したリアス海岸である気仙沼の海にそそぎこむ大川、その上流域にある室根山に落葉広葉樹の豊かな森を創ろうというものだ。
海を豊かにするために森に目を向け、川がそれを結ぶ。森に暮らす人々、川の流域に暮らす人々、海で生きる人々すべての価値観を共有するこの活動が、「森は海の恋人」という合言葉に象徴されていた。
この活動は植樹がメインではあるが、それだけではない。室根山のある岩手県の山の民と、大川がそそぐ宮城県気仙沼湾の海の民が、大漁旗はためく植樹会場の山に集い、それぞれの伝統芸能(鬼剣舞や大漁唄込ほか)を披露し合って交流し、それを日本各地から植樹祭に参加した人々が心から楽しむという、地域を超えた一大交流イベントになっているところも特筆すべき点だ。

参加者たち


植樹祭は今年で37回目と云ったが、この間一度も途切れることはなかった。途中、東日本大震災やコロナウィルス感染拡大という大きな危機はあったが、関係する多くの人たちが支え励まし合い、工夫して乗り越えてきた。特に大震災の時には、畠山さんは母親を亡くし、すべての漁業者は施設や用具の一切を津波に流された。このとき畠山さんは、海はからっぽになり死んだのではないかと感じたそうだ。しかし、震災から数か月後に京都大学の調査チームが気仙沼の海を調べたところ、“カキが食いきれないほど植物プランクトンがいる”という結果がでた。背景の森と川の環境を整えてきたことが根底にあると言われて、「森は海の恋人」の持つ意味があらためて確認されることとなった。
NPO法人『森は海の恋人』は「森づくり」「環境教育」「自然環境保全」の3分野を軸に活動していると記したが、それぞれの分野がバラバラに独立しているわけではない。「森づくりを通じた人づくり」が活動の本質であると、新理事長の畠山信氏(故重篤氏の三男)は言っている。中でも、体験学習(環境教育)は植樹活動2年目から始めたところたちまち評判になり、これまで多くの小中高の生徒たちが、船に乗って養殖イカダを観察するなど、海の環境(そして森の環境も)を身をもって体験してきた。また、森と海の関係がいかに重要かが科学的に認められ、世界中から多くの人々が視察に訪れるようになった。
ここまで見てくると、「森は海の恋人」の運動は、直接的には漁業支援であり自然環境保全であるが、それにとどまらず、若者の教育支援であり地域交流支援であり世界への情報発信でもある。故畠山重篤氏が始めたこの運動は、とても広汎でありかつ深さを湛えていることに今さらながら驚く。


「(この運動によって)気仙沼は今後、日本・世界のモデルになるはず」と氏は言った。氏が亡くなったこれからも、世代を超えてこの運動がさらに広く、さらに深く発展していくことを願っている。最後に、もじゃもじゃの髭と長靴姿がトレードマークだった「カキじいさん」こと氏の生前の功績をしのび、この紙面をお借りして、謹んで哀悼の意を表したい。
なお、今月の22日(日)には、お別れの会として「畠山重篤さんと森は海の恋人を想う会*」が、東京大学・伊藤国際学術研究センターで開催され、氏のこれまでの活動に触れることができる。
*畠山重篤 お別れ会の開催について【2025年6月22日】 – 森は海の恋人
おおもりさとし(1492)
(授業支援の会)
(元東北電力 仙台在住)