日程 | 2025年6月4日(水) |
見学 | 東北電力㈱女川原子力発電所 (宮城県牡鹿郡女川町) |
紹介 | 大森聡会員(1492) |
参加 | 21名 |
技術部会は、6月4日(水)宮城県牡鹿郡女川町にある東北電力㈱女川原子力発電所の見学会を行いました。牡鹿半島の中央にあり、敷地の8割は女川町、2割は石巻市です。

この見学会は、元東北電力㈱、元東北電力ネットワーク㈱顧問の大森聡会員(1492)のご尽力により実現、参加者送迎用のマイクロバスを仙台駅から女川原子力発電所まで用意して頂いたほかに、昼食の場所(シーパルピア女川)ならびに懇親会の場所までも手配頂きました。 その甚大なるご配慮に深謝申し上げます。



1. 東北電力㈱女川原子力発電所について
案内と説明には広報室から5名の方が同行という手厚い対応でした。(見学者5名に対して1名付き添いが規則だそうです)
- 敷地面積約173万㎡(東京ディズニーランド3個分)
(但し、原子力発電所用地だけでなく、森林も含む) - 女川原子力発電所は、1号機から3号機までの発電設備を持っている。
1号機 | 2号機 | 3号機 | |
定格電気出力 | 524,000kW | 825,000kW | 825,000kW |
営業運転開始年月 | 1984年6月 | 1995年7月 | 2002年1月 |
原子炉型式 | 沸騰水型原子炉 (BWR) | 同左 | 同左 |
現状の姿 | 2018年12月21日 運転終了、 廃炉手続き中 | 通常運転中 | 再稼働に向け 手続き中 |
- 女川原子力発電所は、東日本大震災の震源地より約130kmと福島第一原子力発電所の約180kmより近いが、当時、1号機と3号機は稼働中、2号機は立ち上げ直後であったが、1~3号機ともに自動停止した。
- 外部電源は5回線のうち1回線を確保。
- 非常用ディーゼル発電機も地下でなく、原子炉建屋内に設置。
- さらに、2号機は、2013年7月より改正された新基準を満たし、2024年11月から再稼働している。
- 建屋には窓がなく、外壁を環境に優しい色合いにしたのは、女川が全国で最初。
2. 安全対策(2013年基準に適合)
- 耐震補強工事 東日本大震災後に基準地震動の加速度値を580Galから1000Galに見直し
(東日本大震災時には、567.5Galを計測) - 防潮堤 海抜29mで設置。 (大震災時には津波高さ13m)
- 海水取水口があるために重量物を避けて、盛り土式堤防120m+鋼管式鉛直壁約680mを設置
(震災後、牡鹿半島は、約1m沈下したが、今は戻っているという)。
- 海水取水口があるために重量物を避けて、盛り土式堤防120m+鋼管式鉛直壁約680mを設置
- 電源確保
- 外部電源喪失、原子炉建屋内のディーゼル発電機が使用できなくなった場合に備え、「ガスタービン発電機」や「高圧電源車」を海抜約60mの高台に配備。
- 大容量送水ポンプ車、淡水貯水槽 設置
- フィルター付格納容器ベント装置
- 万が一、水素が発生した場合に格納容器内の水蒸気及び水素を大気に放出する。
- ただし、放射性物質が含まれていることからフィルターを介し、同物質の放出量を1000分の1に抑制する。
- 現在は、竜巻対策で、電源車や、トラック等をロープで、固定。
- また、テロ対策のために、警官、機動隊が常駐している。
- 運転員は、課長以下8名で、5直3交代の24時間勤務体制。
- 発電所に常駐するのは44人だが、緊急A参集要員54人。
3. 東日本大震災発生時避難民の受け入れ
- 女川原子力PRセンター
- 地元行政区長からの要請により、避難民及び土木工事をされていた方々総勢40名を受け入れ。
- 非常食、水に制限があったために、数日後には、女川原子力発電所に移動。
- 女川原子力発電所
- 避難民が、直接訪れたこともあり受け入れ。
- 電気は使用可能であったが、水は備蓄があったものの、使用制限。
- 社員、協力会社社員を含め、避難民最大時364人が生活。
- 援助物資到来までは、非常食を社員は1日1食、避難民は1日2食で耐えしのんだという。
- 避難民の中には、妊婦さん、酸素吸入の必要な方もおられ、救援物資を運んできたヘリコプターで、仙台市内の病院に搬送。
4. 見学経路
- 金属探知機、爆発物探知機の検査を受けた後。専用バスによる、車内からの視察
- 発電所内は、一切、撮影禁止(スマホ、カメラ持ち込みできず)
- 腕時計、アクセサリー等も全部外し、ベルトもプラスチック製に交換
(革靴の補強用に金属が使われることがあると・・・実際にひっかかった方あり) - 3号機原子炉本体と使用済み燃料冷却プールのある建屋はガラス越しに見学
5. 懇親会
仙台に戻り「居酒屋ごっちょ」にて17名が参加し、大いに意見交換し英気を養いました。
以 上(山崎哲也)