第40回知楽会
日本古代史 謎の4世紀

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日時2025年10月6日
講演「日本古代史 謎の4世紀」
講師上垣外憲一氏
場所スタジオ751+Zoom
参加20名+Zoom17名

第40回知楽会は、古代史研究会との共催で、外部講師の上垣外憲一(かみがいとけんいち)先生により「日本古代史 謎の4世紀」と題してご講演頂きました。  

「謎の4世紀」ということですが、これは、当時古代日本にはまだ文字が無く、3世紀には中国の魏志に「卑弥呼」の記述がありますが、次に登場するのは5世紀で「倭の五王」となり、4世紀については文字での記録が無いことから「謎」とされているものです。

一方、4世紀の日本は、ヤマト王権が勢力を拡張し、大和朝廷を打ちたてる時期となります。そこを、出土品や推察により埋めて行こうという考え方です。上垣外先生のご専門は、韓半島と日本の交流史ですが、その観点で古代史を解き明かすという試みで、今回は特に、邪馬台国について時間を割いて頂きました。

魏志倭人伝については、それこそ新井白石以来、多くの解釈がなされており、好事家の興味を引き続けていますが、先生は邪馬台国は、大和では無く、九州であろうと推測されています。その理由として以下の説明を頂きました。

魏志倭人伝の有名な旅程に関する記載を忠実に読み解くと、海上交通により帯方郡から東シナ海を通って日本にたどり着く港が、佐賀県松浦半島あたりであるここと。これは中継点である対馬から若干、西に寄っていることが重要で、もし邪馬台国が大和であれば、もっと東にある他の港に寄港する筈、わざわざ大和に遠いところに寄港する筈が無い、九州説を支持する重要なポイントである。

銅鏡について。我々のようなアマチュアはどうしても銅鏡を一括りにしがちですが、先生は、中国や韓国の学者と共同して銅鏡の研究もなされており、その研究によると、まず魏には銅は産出しないので、魏で製造された鏡は鉄製であるとのこと。従い、魏が卑弥呼に下賜した鏡は、鉄製でなければならない。その意味で注目するのは日田のダンワラ古墳から出土した「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」です。金や銀の象嵌に加え、トルコ石などの宝石の細工がされた七寸(これは「王」の鏡のサイズとのこと)の鉄の鏡で、日本ではこれ1つしか出土していません。
先生は写真で復元された鏡と、CG加工したものを紹介されましたが、実に精巧な技巧の色鮮やかな鏡です。比較で一般に魏から下賜された銅鏡と紹介されている「三角縁神獣鏡」の写真と比べてみると、その違いは一目瞭然。後者の彫刻の鈍さは前者の彫と比べるとおもちゃのよう(実際、三角縁神獣鏡は日本で製造されたという説があります)。魏の皇帝が下賜した鏡である以上、帝室工房で製造されたものであることは間違いなく、その名に恥じないものです(事例として宋の時代の官窯で製造された青磁と民窯の焼き物との差を挙げられています)。

奈良県桜井市にある纏向遺跡が邪馬台国の有力な候補地であるが、ここから出土する鏡は全て銅鏡であり、多くは三角縁神獣鏡。鉄鏡は全く出土していない。これは纏向地域が当時、魏との交流が無かったことを占める有力な証拠である。

このように、先生の卓抜なご見解と古代史研究会の史実の詳しさが相まって、懇親会までも論議が尽きませんでした。会場でのリアル参加20名に加えZoom参加の17名という久しぶりの大盛況の会でした。  続編を期待したいところです。

以上(山崎哲也)

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