今回の勉強会は、ミニツアーの形で行いました。
目的地は宝塚小浜宿です。
小浜宿は、戦国時代に毫摂寺の寺内町として生まれ、江戸時代には有馬、京伏見、西宮につながる宿場町として当時の宝塚の中心地となりました。また、名水「玉の井」の地として酒造が発達し、「小浜組」と呼ばれる大工衆の町としても名を馳せました。
10月18日(土)10時に、阪急宝塚線 売布神社駅に集合し、歩いて目的地の小浜宿に向かいました。参加者はNPOクラブ関西から3名、当方と合わせ8名でした。

最初の訪問は米谷にある江戸時代中頃までに造られた旧和田邸です。米谷は小浜と隣接する町(村)で、和田邸はこの米谷村の庄屋の家だったそうです。阪神淡路大震災で半壊しましたが、宝塚市が専門家の力を借りほぼ、元通りに復元したものです。管理人の方から当主の部屋、座敷、使用人の部屋等当時の生活について詳しく説明してもらいました。和田家は代々庄屋を務めたため、多くの古文書も残されているそうです。
その後、いよいよ、小浜に入ります。この町の特徴は、毫摂寺を中心とした要塞にもなっており、西は堀の役割を果たす大堀川が流れ、有馬に通じる北門、京伏見に通じる東門、西宮に通じる南門の跡があり外敵を防ぎ、また侵入されたとしても、多くの道が鍵型で迷路のようになっているそうです。そんな複雑な道をベテランのガイドさんに案内してもらいました。



国府橋を渡り北門から入り、鍵型の迷路を歩いて、南門に向かいました。町並みも阪神淡路大震災前はレトロな感じだったそうですが、残念ながら多くは倒壊し、現代風の家が多かったと思います。
最初の見物は南門近くの首地蔵、首だけの地蔵様で異様な感じですが、首から上の病気にはご利益があるそうです。

近くに地元の名大関「谷風為五郎の墓」(有名な谷風ではないそうです)を見、毫摂寺に向かいました。
この町の中心で、秀吉が有馬に向かうときには、この寺を宿舎にしたそうです。
その後、皇大神社(大きなムクの木、谷風がこの境内で相撲を取ったといわれる)の側を通り、歴史民俗資料館を訪問しました。

震災前の小浜宿の様子をビデオで紹介してもらい、また、江戸時代の街並みの模型があり詳しく説明してもらいました。
西側の土蔵は山中鹿之助の子孫が使用していたものでいまは資料館の収蔵庫として利用されているそうです。隣接する山中家住宅の庭には名水「玉の井」がありました。千利休がこの水を使い秀吉にお茶のもてなしをしたとのことです。

資料館の前には、昔のままの酒屋さん、代官所跡等がありました。


宿場町ということで、古民家が多いというイメージでしたが、ここでも阪神淡路大震災後、多くの家が立て替えられたようです。それでも、古きよきものを残そうという町の人たちの意気込みも感じられ、今では、宝塚でも人気の観光コースになっているそうです。
これで小浜宿をはなれ、売布神社駅まで引き返し、駅前の居酒屋「夢吉」でランチを楽しみ、午後2時過ぎに解散しました。
以 上(岡本正敏)