6月1日(第462号)
内山正人
職業柄、水力発電所や火力発電所を訪ねて全国を歩き回ってきた。気がつけば、ほぼすべての都道府県に足を踏み入れていた。そんな私に、なぜか一つだけ空白の県があった。鳥取県だ。
家族旅行の折に境港市に少し立ち寄ったことがあるだけで、それ以上の関わりはなかった。鳥取はそういう県だった——少なくとも、数年前までは。

ぼんやりと、しかし長年、こんなことを考えてきた。電力というインフラは、本来、社会全体で支えるべき公共の土台ではないのか。大手電力会社が既得権として囲い込んでいいものなのか。
電力自由化の進展の中で、大手電力との契約交渉で何度も壁に突き当たった。理屈よりも業界の力関係で物事が決まっていく場面を見るたびに、何かがおかしいという感覚は強まっていったが、それを言語化する言葉が自分にはなかった。確信があったわけではない。ただ、感覚として、そう思い続けてきた。

長年勤めた会社を退き、DFに入会してからは、高校生や大学生にエネルギーと環境を教えたり語り合ったりするうちに、様々な本に触れるようになった。そして、経済学者であり数学にも深い素養を持つ宇沢弘文の「社会的共通資本」という概念に出会った。自然環境、医療、教育、そして電力のような社会的インフラは、市場原理や私的利益だけに委ねてはならない社会の共有財産である。
宇沢は、高度経済成長の時代に市場万能論が席巻する中、それに真正面から異を唱え続けた経済学者だ。私にとって宇沢は、名前を聞いたことがある程度の存在だった。だが実際には、日本で最もノーベル経済学賞に近かったと評されるほどの人物だった。
かつてシカゴ大学で教鞭をとり、フリードマンらと並んだ俊英が、なぜそのような思想に至ったのか。その問いを胸に読み進めるうち、自分が長年感じてきたあの違和感に、ようやく名前がついた気がした。霧が晴れるような思いだった。
初めて米子市を訪れたのは三年前のことだ。宇沢の著書を一冊手荷物に入れ、機内で読み進めるうちに、私は初めて知った。宇沢は、米子の出身だったのだ。
偶然というより、何か導かれたような気がした。少し不思議で、妙な縁を感じた。
その夜、地元の方々と膳を囲んだ。日本海の新鮮な魚と地酒。話題は自然と宇沢先生のことに及んだ。米子では今も、彼の思想を学ぶ勉強会が続いているという。昨秋には、米子で開催されたシンポジウムで、ご長男の宇沢氏と言葉を交わす機会に恵まれた。大学教授を退官後、現在は地元で私立高校など運営する法人の学園長を務めておられるという。教育に携わる立場から探究学習の話をうかがえたことは、強く印象に残っている。
米子は、山と海の町だ。市街地のどこからでも、別名「伯耆富士」と呼ばれる大山の雄大な姿が、どこからでも空に大きく立ち上がって見える。皆生温泉のある海岸線は静かに美しい。古くは北前船の寄港地として栄え、山陰の商都と呼ばれてきたこの町は、異なる土地の文化や人びとを受け入れる懐の深さを今も持っているように感じる。


鳥取との縁は、電力を入り口に、思想を経て、人へと結びついていった。
仕事で関わっている地域密着型の新電力、偶然手にしていた一冊の本、そして機内での小さな発見。振り返ると、すべてが一本の糸で結ばれているようにも見える。縁というのは、意識して探すものではなく、動き続けるうちに後からふっと気づくものなのかもしれない。
米子はいま、私にとって「空白の県」ではなくなった。そしてできれば、ここで生まれた縁をもう少し手繰り寄せてみたいと思っている。


以 上
うちやま まさと(1341)
(理事、教育支援本部、授業支援の会、技術部会、環境部会)
(元・Jパワー)