| 日 時 | 5月27日(水)10:30~13:00 |
| 訪問先 | 北杜市清里 「萌木の村」 |
| 参 加 | 7名 |
「萌木の村」の舩木社長の案内で園内を散策しました。
涼しい風が吹く中、新緑に囲まれた庭園には瑞々しい草花が一杯、この庭園は昨年観光省の「自然共生サイト」に認定されています。
園内にはレストラン、ホテル、カフェ、ビール醸造所、オルゴール博物館、工房などが点在する複合観光エリアです。平日のため庭園内は静かでしたが、レストラン「ROCK」内は名物のカレーライスを食べる客で賑わっていました。


園内のテラス席で舩木上次社長から話があり、その後皆で意見交換しました。
「1980年代の清里は「第2の原宿」と呼ばれ、若い人々で賑わうまちであった。
しかしバブルが弾けるとともに人々は離散し、メインスストリートはことごとく閉鎖された。その後復興の機会は無く、駅前の地価は坪500万円から3~5万円に下がったままである。

清里高原の高いポテンシャルを活用し、さらに付加価値をつけた新しいまちづくりの機会であると思い、構想をまとめている。
ディレクトフォースのチームの皆さんとともに取りまとめ、住民他周辺の理解を得ながらまちづくり実現に繋げたい。」
昼になり、「ROCK」に戻ってカレーライスを満喫し萌木の村に向かいました。
「萌木の村」から車で5分、広大な敷地の中に清里開拓のシンボルの赤い三角屋根が見えてきます。
清泉寮には牧場、牛舎、農場、森林、ホテル、レストラン、会議場、記念館などが点在しています。
今回はポール・ラッシュ記念館の秦館長に「記念館」およびP.ラッシュ邸宅、アメリカンフットボール館を案内いただきました。
秦館長からはP.ラッシュの功績そして人柄についてとても楽しく話していただいたので、ポールが今なお傍にいるような気がしたほどでした。
「P・ラッシュは1925年YMCA会館建設委員として来日、「清泉寮」を開設するとともに地元清里の人々との交流を通して清里の開拓そして発展に尽くしてきた。
戦争により米国に一時帰国後GHQ将校として再来日、以降は清里農村センター(KEEP)を建設、地元のみならず日本の農村復興に貢献した。
また清泉寮には多くの大学生等若人が毎年訪れ、交流の輪は大きく広がっていった。
農業、教育に生涯をささげた「清里開拓の父」は,1979年聖路加国際病院で逝去された。
ところで舩木社長は1949年清泉寮で生まれ、ポールの後をついて歩き成長し、「ポール先生を探すには上次ちゃんを探せ」と言われたほど可愛がられたとのこと。」
P.ラッシューーーDo your best, and it must be first class
最善を尽くせ、しかも一流であれ
記念館見学後、P・ラッシュ邸宅のリビングルームで秦館長とゆっくり懇談することができました。
帰り際ポールの大きな寝室窓からはこよなく愛した富士の姿が見事でした。
外に出ると観光客が牧場の爽やかな風に吹かれながら、名物のソフトクリームを食べ、富士の絶景を楽しんでいました。
我々も仲間に入りソフトクリームを頬張り、今回の視察の締めくくりとしました。

以 上(市古 紘一)