第32回DF関西勉強会
「北前船に賭けたレジェンド達の物語」

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日 時6月23日(火) 14:30~16:30
演 題「北前船に賭けたレジェンド達の物語」
講 師瀬川滋会員(1262)
場 所神戸生活創造センター講習室
参 加会場 30名  Zoom 27名

今回は、瀬川滋会員(1262)にお願いし「北前船に賭けたレジェンド達の物語」というタイトルで講演していただきました。

従来同様のZoom配信と同時に、会場には関西会員に加えて一般参加者が集まりました。

会場参加者が30名、Zoom参加者が27名(申込ベース)でトータル50名を超える久しぶりの盛会となりました。

講演は、北前船のルーツから始まりました。

三方よし(売り手よし、買い手よし、社会よし)で有名な近江商人がルーツだそうで、1850年、近江商人の西川伝衛門が蝦夷に渡り、蝦夷の産物を船で北陸に運んだことから始まります。
当時は北陸からは琵琶湖を経由して大阪に物を運ぶのが通常ルートでしたが、加賀藩3代目・前田利常が兵庫津・北風彦太郎に西廻りでの大阪への年貢輸送の航路開拓を依頼し、北陸から山口経由の港湾ルートを開発しました。

また、伊勢の豪商川村瑞賢は幕府の下で沿岸湊の整備の他、常夜灯、通信用狼煙台航路を整備しました。大阪港には大きな船は入れないので、北風家は大きな船の荷物を兵庫港で積替え、小舟で大阪に届ける仕組みを作り、大型船の船頭を手厚く接待することで積替え荷を集め、「兵庫の北風、北風の兵庫」といわれるほど、大儲けをしました。
この頃の仕組は船頭が商品を運び、運賃を受け取りる「賃積み」でした。


これに対して北前船は「買積み」と言って船頭が寄港地で安く仕入れたものを他の港で高く売って利鞘を稼ぐ北海道、日本海、瀬戸内海で活躍した廻船をいい、北風貞幹が始めました。
正に海を往く動く商社と言え、大富豪となるものが出てきます。江戸時代後期には、一航海で千両(3億円)を稼ぐ千石船が主力になっていきました。
しかし、当時の航海は沈没の可能性があり、ハイリスクハイリターンのビジネスと言えます。

その後北風家の下で育った工楽松右衛門、高田屋嘉平衛が大活躍します。工楽松右衛門は廻船業を営むかたわら、嵐にも強いと一世を風靡した松右衛門帆を開発し、その製法を公開した結果、日本全体に広まり航海技術が飛躍的に向上しました。

また土砂積船、底巻船、杭打船等「海底浚渫システム」を開発して港の整備にも注力しました。また高田屋嘉平衛は北前船ビジネスで財を成し、弟の金兵衛と江戸に進出、函館にも支店を出しました。
アイヌとの間で漁場の開拓から網の支給、漁法の指導を行って魚を獲らせ更には肥料への加工までの指導することでWinーWinの関係を築きました。

また松右衛門にドック建設を依頼して函館開発を行いました。その後ゴローニン事件でロシアに拿捕されながらも幕府との仲介をする等大活躍をしましたが、1833年、高田屋は金兵衛の代で無実の罪で訴えられ、幕府に莫大な資産を没収・取り潰しにあいました。

江戸後期から明治の初めにかけて、瀬戸内・北陸等、北前船に賭けた商人を多く輩出し大盛況しましたが、明治24年に東北本線が開通する等鉄道網が整備され、徐々に北前船の優位性が無くなり、明治30年ごろには姿を消していきました。北前船の盛衰はあくまで個人のリスクで果敢に挑戦したレジェンド達の物語であったと言えます。

以 上(岡本正敏) 

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