70歳の手習い、忙しくしているのは誰だ
永野章(1372)

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7月1日(第464号)
永野章

70歳になった。
人生100年時代と言われても、こちらとしてはそんな長期計画を立てた覚えはない。ただ、気がつけば70年も経ってしまったのだから、これはもう“おまけの時間”だと思って楽しむしかない。そう思っていたはずなのに、最近の私はなぜか妙に忙しい。しかも、その忙しさをつくっているのは、他でもない私自身である。

手習いの目的は自身のメタモルフォーゼのためだけなので、基本はストレスを感じない、他人を巻き込まない、多額の投資をしないなどの条件を設けている。

まず始めたのが、中学以来の鉛筆6Bを握ってのデッサンだ。 元々家には父が残した画材の類があって、すぐにできると思い立った。
久しぶりに持つ6Bは、やわらかくて、濃くて、そして妙に懐かしい。だが、いざ描き始めると、思い出したのは中学の美術室ではなく、眼鏡の度が合わないという現実だった。モチーフを見ては眼鏡を上げ下げし、紙に向かってはまた上げ下げし、気がつけばデッサンよりも眼鏡の扱いのほうが上達している。しかし、描いた静物はまあまあかな。それで、
調子に乗って、次はセザンヌの自画像の模写に水彩絵の具を使って描くことに挑戦した。セザンヌは大好きな画家でヘタウマっぽいなんて考えて、結構いけるかもしれないと思い、あろうことか、である(すいません)

セザンヌ自画像(筆者による模写)

最初にぶつかった壁は、色がつくれないという単純にして深刻な問題だった。
セザンヌの顔は、ただの肌色ではない。灰色がかった青、くすんだ赤、黄土色、そしてそのどれでもない微妙な“間”の色が重なっている。パレットの上で色を混ぜるたびに、思っていた色から遠ざかっていく。濁る。沈む。逃げる。私の模写を見てセザンヌがこっちを見て怒っているように見える。つくづく、我々が今鑑賞できるどの画家も天才だと思う。

それでも筆を動かしていると、不思議なことに、セザンヌの顔がだんだん自分の顔に見えてくる。70歳にもなると、誰の顔も似たような色合いになるのかもしれない。あるいは、私のほうがセザンヌに寄ってきたのか。そんなことを考えながら、今日もパレットの上で色を追いかけている。

次に手を出したのが、日本の古典芸能・能の小鼓だ。
(株)岡田神具装束店が「よくなる小鼓」という初心者でもたたけばそれなりの音のする楽器を販売している。これさえあれば、簡単なはずだった。これがまた、想像以上に手強い。楽譜が読めない私でも、これならいけるだろうと軽く考えたのが大間違いだった。

手本となる能楽書林から発行されている『幸流 小鼓正譜 序巻の上』によれば、打ち方の基礎の手組だけで204もあり、おまけに掛け声はヤと書いているのはヨと、ハはホと発声するという厄介さ。
確かに「よくなる小鼓」は打てば鳴るが、鳴らせば鳴らすほど、自分のリズム感のなさが露呈する。ヨ、ホもままならない。

小鼓教本

ここでふと思い出したのが、徒然草の一節である。兼好法師はこう言った。
「少しのことにも、先達はあらまほしきは事なり」――何事も、まずは導いてくれる人がいるのが望ましい、が、先生は全員年下で叱られ、教えられ、導かれる。素直に従う私も人間ができつつあります。キレません。うまくなるまでは。(戦時中か?)
ただ、掛け声と小鼓の「ポン」という一打がうまく決まったときの快感は格別だ。

70歳になって初めて知ったが、人間は年齢を重ねるほど、単純な音に感動するようになるらしい。これまではクラシック一辺倒で音楽を聴いて悦に入っていたのに、今では小鼓の一打で胸が震える。人生の味覚が変わるように、聴覚もまた変わるのだろう。

さらに最近は、ドラマリーディングにまで手を伸ばしてしまった。声を出すのは健康に良いと聞き、軽い気持ちで始めたのだが、これがまた奥深い。
台詞を読むだけなのに、感情の置きどころが難しい。声を張れば怒っているように聞こえ、抑えれば沈んでいるように聞こえる。70歳にもなると、感情の微妙な揺れを声に乗せるのは意外と難しい。だが、読み終えたあとにふっと心が軽くなる瞬間があり、それが癖になっている。

こうして並べてみると、私は自分で勝手に忙しくして、勝手に苦しんでいる。
誰に頼まれたわけでもない。誰かに褒められるわけでもない。それでも、なぜかやめられない。

思うに、70歳というのは「できないことが増える年齢」ではなく、「できることをもう一度選び直せる年齢」なのだろう。若い頃は、やりたい事より時間がなかった。中年の頃は、付き合いでやっていた。だが70歳になると、できることは限られているが、その中から“やりたいこと”だけを選べる。これは実に贅沢なことだ。

もちろん、挑戦するたびに失敗する。水彩は濁るし、小鼓は鳴らないし掛け声は間違える、ドラマリーディングでは台詞を噛む。
だが、失敗しても誰も怒らない。怒るのは自分だけである。そして、その自分もすぐに忘れる。これもまた、70歳の特権だと思う。

アラブのお土産売場にて。沢山買ったのでサービスで被り物を作ってくれました
ケバブを焼く料理人(筆者)

ながのあきら
(アカデミーグループ)
(元スターゼン)

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