創立メンバーとしてディレクトフォースの礎を築かれた合田隆年さんが、昨年12月10日に逝去されました。合田さんのお人柄やご貢献を偲び、親しく交流された11名の会員に追悼文をお寄せいただきました。
エッセイ
第454号 淺野哲(1550)
2025年10月にディレクトフォースに加入させていただきました淺野と申します。自己紹介を兼ねて、40数余年国際協力機構(JICA)という組織で活動してきた途上国の技術支援について、および、現在の趣味や取組みについて、書かせていただきます。
第453号 鈴木哲(692)
写真のフィルムからデジタル化への変遷、そして生成AIによる画像形成の急速な進展について語ったエッセイです。
第542号 古市健治(1487)
退職後はプライベートの海外旅行を毎年二三回程度続けていた。2023年ようやくコロナ禍も終息の兆しを見せたので旅行の計画を開始した。行きたい所がたくさんあったので、最終的にround ticket を利用して世界一周することを決心した。
令和8年1月1日 DF会員の皆様へ 一般社団法人ディレクトフォース代表理事 織田文雄 更なる高みを目指して 謹んで新春のお慶びを申し上げます。皆様におかれましては、ご家族とともに健やかに新年をお迎えのことと存じます。 昨 […]
第451号 松井明雄(1400)
昭和100年目を迎えた今年、私は64歳になりました。新卒で入社した会社を3年前に卒業し、現在は一般財団法人の役員、中小企業の顧問、大学生のキャリアカウンセリングなどの仕事に就きながら、ディレクトフォースの活動に参加しています。
60歳を迎えようとしていた頃、当時話題になっていたリンダ・グラットン教授の『LIFE SHIFT』を読み、退職後は、本書で紹介されている「ポートフォリオ・ワーカー」(さまざまな仕事や活動に同時並行で携わる働き方)を目指そうと思い、現在に至っています。
第450号 木下暢男(1392)
「まちづくり」、今では「住民参加」「協働」「パートナーシップ」といったまくら言葉が添えられ様々な意味合いで使われる便利なことばです。
わたしは神戸市の土木職の行政職員として採用されました。入庁からずっと、後に「山、海へ行く」と呼ばれるようになった、山を削った跡地とその削り取った土砂で海を埋立て造成した新たな土地を生み出し、戦略的に関連するインフラを整備する部署に配属されていました。
第449号 関根千佳(1488)
欧米と比較して、日本はユニバーサルデザイン(UD)の思想、法制度が徹底していない。まちづくりにおけるアクセシビリティなども、まだ後進国である。シニアが輝く続けるためにもっとUDを勉強して、実行しましょう。
No.448 乗田佐喜夫(1435)
2023年4月にDirectForceに入会して、2年半が経とうとしています。このエッセイを書くのを機に、2年半のDF活動を振返ると同時に、70代を迎えた現在の心境を纏めてみようと思い立ちました。
No.447 山本明男(977)
冷戦時代の旧東ドイツで1984年~87年までの3年間建設技術者として駐在した時の壁の向こうでの出来事をご紹介します。
No.446 宮田顕(1344)
最近の日本におけるコメ不足やコメ価格の高騰といった報道を目にし、ふと、1980年代に家族と共に住んでいたシンガポールのコメ事情を思い出しました。カンガルー米など、おいしいコメもありました。シンガポーでは輸入米の備蓄も義務づけられていました。
No.445 畑中 伸治
「私たちは、本当に宇宙で一人ぼっちなのだろうか?」 「もし宇宙人と出会えたら、それはいったい何を意味するのだろうか?」・・・年月とともに私の価値観に静かな影響を及ぼし、いつしか人生をかけて考え続けるテーマになっていた。
No.444 秋山 武夫
本稿では、「ダイバーシティ(多様性)」という理念に立ち返り、アメリカという多様性の先進国であるアメリカの現状を素材として、筆者の半世紀にわたるアメリカでの経験をもとに、日本社会の進路を考察してみたい。
No.443 神永 剛
何とも刺激的なタイトルですが、文科省傘下の機関が行った調査を報じるニュースの実際の見出しです。 2024年から2025年にかけて国立青少年教育振興機構が行ったもので、同時期米国、中国、韓国で実施された調査と比較、考察しています。
No.442 加藤 信子
「子どもたちに理科を好きになってもらいたい」「大きくなって科学技術の分野で羽ばたいてもらいたい」を目標に、今年15周年を迎え、現在は27のテーマ、年間180件余りの出前授業を実施。
No.441 菅原 信夫
私はハルビン市内で映画を見ていました。 中国は初めて。 切符を購入する手順さえ知らず、しかし、今回の旅では現金を一切使用することがなかったので、映画館での支払いもAlipayで可能だろうと思い、出撃を決意しました。
No. 440 池田弘道
私は長崎県の大村市の貧しい山村に生まれました。幼稚園や小学校までは片道3kmあり、子供の足で山道を1時間かけて通うという生活をしていました。
No. 439 越 純一郎
我々、日本人は、よく「熱しやすく、冷めやすい」と揶揄されます。でも、物事には、忘れても仕方ない事とそうでない事があると思います。
No. 438 大森聡
森は海の恋人、という言葉は聞いたことがあるだろうか。今年4月に亡くなった、気仙沼でカキ養殖に携わってきた畠山重篤氏の活動をひと言で表したフレーズ・合言葉だ。
No. 437 田中久司
学生時代のワンダーフォーゲル部での国内探訪から始まり、海外勤務を経て、日本人のルーツ、文化の多様性に興味を持ち、フルタイムから解放されての世界一周の船旅で、更に興味の幅を広げ、人類の歴史から地球の生い立ちに至る、事物の源について論じています。