12月1日(第450号)
木下 暢男
はじめに
「まちづくり」、今では「住民参加」「協働」「パートナーシップ」といったまくら言葉が添えられ様々な意味合いで使われる便利なことばです。
わたしは神戸市の土木職の行政職員として採用されました。入庁からずっと、後に「山、海へ行く」と呼ばれるようになった、山を削った跡地とその削り取った土砂で海を埋立て造成した新たな土地を生み出し、戦略的に関連するインフラを整備する部署に配属されていました。

当時のわたしは、「神戸のまちづくり」イコール「人口を増やし都市活動を活性化する」ことと思っていました。阪神・淡路大震災の後についても、早期に住民が戻ってくるためのインフラの復旧・復興事業に取り組んでいるところでした。
入庁17年目の春突然、わたしは技術職の管理職としては初めての区役所(中央区市民部まちづくり推進課)勤務を命ぜられました。まちづくり推進課は、「協働と参画によるまちづくり」を目指した当時の笹山幸俊市長の肝いりで9区の区役所に配置された部署でした。
中央区は、生田区(ポートアイランドを含む)、葺合区の合区によって生まれました。中心市街地として発展してきた生田区、埋め立て地に計画的に建設された海上都市ポートアイランドには、自治会・商業者・企業等から形成された主体的にまちづくりを推進できる組織が存在し自立したまちづくりが進んでいる反面、葺合区は自治会が全区域を網羅していない、いわゆる「白地地区」だったのです。言い換えると、葺合区はまちづくりを推進できる住民組織がないため、中心市街地に近接しているにもかかわらず行政が計画的な市街化を進められなかった地域です。住民のいない山や海に「まち」の絵を自由に描いてきた当時の自分には、実際に住民が生活を営んでいる「白地地区」で神戸のために何ができるかいうイメージが全くありませんでした。
神戸の繁栄を標榜して入庁した自称「まちづくりマン」として、悪戦苦闘しながらまちづくりと向き合った2年間の区役所勤務の一部を振り返ってみたい。
市長の目指す「住民主体のまちづくり」とは何?
「住民主体のまちづくり」。わたしは住民がまちづくりに主体的にどのように関わるかを考えることが重要だと考えました。まずは、従来の区役所特有の市民サービスに関するルーチンワークをこなしながら、身近な地域のイベントに徹底的に参加しました。清掃活動、盆踊り、懇親会、飲み会、自治会の親睦旅行など誘われるままにすべての地域活動に参加しました。土日かまわずイベント参加したため休暇が取れなかったのですが、子供も喜ぶハイキングなどには家族ぐるみで参加しました。
その結果、「住民主体のまちづくり」とは、住民同士のつながりや、地域への愛着といった「人づくり」と密接に関わる下記のような要件が重要で効率的なインフラ整備につながることにいきつきました。
- 住民主体であること : 行政がすべてお膳立てするのではなく、住民自身の発意やアイデアが活動の中心になる。
- 「きっかけづくり」が重要 : イベントやマップづくりを通じて、住民が地域の魅力を再発見し、 活動への関心を高めることが第一歩となる。
- プロセスは段階的・反復的 : 厳密な計画を立てるのではなく、「実践活動 → ビジョンづくり → ルールづくり」というプロセスを繰り返しながら、少しずつ地域を良くしていく方が現実的で継続しやすい。
- 「まち資源」の発見・創造 : 地域に元々ある歴史や自然、生活文化だけでなく、住民の共感を通じて新たな魅力(まち資源)を発見・創造していくことが大切。
- 住民と行政の役割 : 住民は遊び心や楽しむ心を大切にしながら主体的に活動し、行政は住民の活動を支援する「コーディネーター」としての役割を担うべき。
まちづくりのきっかけづくり
イベントの実施はまちづくりの動機付けとして有効です。しかし、行政がイベントを実施する場合、お膳立てをすべて行政側が行ってしまい、住民の発意や創意・工夫が反映されず、自分たちの与えられた役割をこなすだけに終わっていることが多い。また、客と参加者が完全に分離していたり、参加者同士の交流がうまく図れない場合もあり、一過性に終わってしまうことも多い。
中央区では、「清掃活動」、「盆踊り」に震災後の地域のあちこちで行われていた「餅つき」を加えて誰でもが参加できるまちづくりの最初のきっかけとなる「まちづくり3種の神器」とし、区役所の仲間と手分けして住民の皆さんにその実施を呼びかけていきました。
それぞれの地域で催されている盆踊りは、地域の住民団体の皆さんが協力しあって、資金集めから、うちわの調達、やぐら組みや模擬店まですべて手作りで行ため、規模の大小はあるにせよ、地域のコミュニティづくりに大いに役立っています。子供たちにとっても、地域への帰属意識を実感できる数少ない年中行事となっているのではないかと思います。しかし、まちづくりという視点でみると広がりやインパクトは若干弱いことは否めません。
わたしたちの課内では、神戸市の目指す「住民主体のまちづくり」を行政が主導するのではなく、住民が主体となって自分の住んでいる地域をより良くしていく行動・活動と定義づけし、そのきっかけとなるイベントを「まちづくりイベント」と呼ぶことにしました。
まちづくりイベントの条件は、
- イベント業者がすべて仕切ってしまうのではなく、住民の創意工夫がいかされた手作りであること
- 一過性の人集めで終わる事なく継続性があること
- パレードのような「見物型」でなく「参加型」であること
- まちづくりの一定の理念や考え方を創造・周知する機会となること
などが重要だと関係者で確認しました。
有効であった中央区のまちづくりイベントの実践例のひとつとして、チューリップの花びらで花絵を描く「インフィオラータ神戸」があります。旧葺合区で誕生した「インフィオラータ神戸 三宮東」を別添で紹介します。


最後に
昨年のDFジャズ同好会神戸ツアーの際、久しぶりに神戸の中心市街地を歩き、「わたしも後輩たちのまちづくりの成果や至らない点などたくさんの気づきをいただきました。」という報告をしました。
神戸ジャズストリートとKOBE JAZZ CENTENNIALは、地域のボランタリーな方々が主体となり専門知識のある専門家たちと連携してまちづくり活動を企画・運営するイベントです。わたしは、文化振興にかかわる神戸市の職員も外郭団体の職員もこのイベントの内容を把握していないことにびっくりしました。広報の協力以外行政の関与がないのです。これらのイベントは、わたしの中央区時代に当時の笹山市長へ行った中央区のまちづくり構想の提案プレゼンテーションにそっくりで、後輩たちがジャズのテーマで実現してくれたんだ・・・と少々感激したわけです。そのプレゼンテーションに身を乗り出して楽しそうに聴き入ってくれた当時の笹山市長の姿を、今でも思い出します。
笹山市長は、「神戸を『用事のあるまち』にしよう」と周りの職員によく言われていたそうですが、このことはあまり公式には伝わっていません。「『ひと・こと・もの・情報』の結節点となりそれらが滞留する神戸」をこんな含蓄のあることばに言いかえた笹山市長のこのメッセージは、わたしのまちづくりのあらたな原点となりました。
「インフィオラータ神戸」
“こうべまちづくりセンターニュース あーばんとーく 平成11年9月号
(財団法人神戸市都市整備公社 こうべまちづくりセンター発行)” より
インフィオラータ神戸は、チューリップの花弁で路上に花絵を描くイベントで、当時中央区役所のM係長がイタリアのジェンチアーノ市で行われているイベントを参考に考案したものである。
きっかけは、平成8年の秋に、中央区の旧葺合地域の玄関口であるあじさい通りが歩行者天国になったことから、商店街の方から特色づくりを考えて欲しいという申し出があったことが最初である。そこでチューリップの花弁の調達やテーマの把握、技術的な検討などを加えて、区役所から商店街の人たちに対し提案したものである。印象深かったことは、実施するかどうかは商店街の人たちが最終決断したことである。リーダーの一人の、「区役所からの提案であれば、イベントに場所を貸しているだけになる。」「経費が1団体 100 万円ずつかっても(実際はそんなにかからなかったが)やる意志があるの。」という問いかけに、商店街の皆さんが、うなずいたなんとも言えない顔を今でも思い出す。
結局、富山県砺波市のチューリップ花弁の提供や神戸芸術工科大学の先生・生徒の技術協力など多くの人々の協力を得て、平成9年春から北野も含めて第1回としてスタートすることができた。今では、元町商店街、ポートアイランド、湊川商店街、六甲アイランドも加えて、市内 6 カ所で開催され、すっかり春の風物詩として定着した感がある。
期間中の来場者もトータル数十万人を数え、集客力もさることながら、本当のねらいは、「美緑花ストリート」として沿道の商店主の皆さんが道をきれいにしてもらうための啓発であるという点がユニークなところである。つまり、イベント時に路上の看板やのぼり、自転車などを撤去せざるを得ないため、その後の道路美化のルールづくりの実験としての効果が期待できるのである。例えば、その効果の一つとして、あじさい通りは平成10年から「ポイ捨て禁止重点区域」の指定を受けている。また、イベントを「する人」「見る人」と分かれるのでなく、子供も学生もお年寄りもみんなでチューリップの花弁をむしって、みんなで花絵を描くという「全員参加型」であるという点でもユニークなものとなっている。
その後、このインフィオラータ神戸は地域のまちづくり活動に相当なインパクトを与えることができた。最初のテーマであった「人・つなぐ」という願いのとおり、さらに東へ伸ばしていきたいという住民の盛りあがりを生み、「旭雲通り美緑花会議」や「人・つなぐ旧西国街道まちづくりを考える会」などの住民団体の組織づくりにつながっていった。現在では、あじさい通りが旧西国街道であるということから、石碑や案内看板の設置など、地元と区役所等との手によって次々とユニークなまちづくり活動が展開されている。
きのした のぶお(1392)
(DF関西)
(元 神戸市役所)