1970年代、日本の造船業は世界を制していた。世界で建造される船舶の半数以上が日本製という時代である。瀬戸内海しまなみ海道沿いの今治・尾道・印島ドックは常に満杯。海運会社、商社、銀行、造船所が一体となった産業集積は圧倒的な競争力を生み、「造船大国・日本」の名は揺るぎなかった。当時、銀行で船舶金融に携わっていた私も、その熱気の中で毎日残業におわれていた。取引先である三光汽船や日商岩井等が6万トン級のパナマックスタンカーやバルカーを大量発注し、造船所は同型船を次々と量産する。日本は質とコストの両面で欧州を凌駕し、世界の海上輸送を支える存在となっていた。私も進水式や引き渡し式に参列し、船のとりこになった。
しかし繁栄は長く続かなかった。オイルショックを契機に需要は急減し、海運市況は悪化、造船所にはキャンセルが相次いだ。さらに80年代以降は韓国が低コストと国家支援を武器に台頭し、2000年代には中国が規模で追い上げる。かつて6割を占めた日本の世界シェアは、現在では2割弱にまで低下した。主役の座は完全に入れ替わったと言ってよい。
その転換点の一つが90年前後にあった。当時最先端技術船であったLNG船は三菱重工等のモス型タンク方式が主流であったが、韓国政府は財政資金を投入し、膜式タンク方式の新型LNG船量産計画に着手した。プロジェクトファイナンス部に所属していた私は、韓国外換銀行と協同して、インドネシアプルタミナからの輸入航路に投入される韓国製新型LNG1号船のシンディケートローンを組成した。一部には膜式タンクではマイナス162℃の液化天然ガスが漏れるおそれがあると危惧する向きもあったが杞憂に終わった。日本がほぼ受注を独占していたLNG船分野への韓国参入は象徴的な出来事だった。韓国造船所は量産に成功したこともあり、受注高首位に躍進し、日本は優位性を失っていった。技術と財政が産業地図を動かす現実を目の当たりにした瞬間でもあった。
もっとも、日本の造船業が力を失ったわけではない。高い品質管理、精緻な設計力、現場力はいまなお世界有数である。そして本年、再生への転機が訪れている。今治造船がジャパンマリンユナイテッド(旧石播・住友重機械・日本鋼管・日立造船)を子会社化し、世界第3位規模の新たな企業体が誕生した。2019年に両社がオーシャンネットワークエクスプレス(日本郵船・商船三井・川崎汽船共同定期コンテナ船運航会社)むけメガコンテナ船6隻を共同受注した経緯は、本年1月、NHKの新プロジェクトXでも放映された。
韓国・中国との過当な価格競争から脱し、技術と付加価値で勝負する体制が整いつつある。
鍵を握るのは環境分野だ。次世代LNG船、アンモニアやメタノール燃料船、さらには液化CO2運搬船といった新しい需要が拡大している。特に産業排出分野で回収されたCO2を液化し貯留設備まで海上輸送する液化CO2運搬船はカーボンニュートラルの切り札ともいえるCCSバリューチェーンの中核をになう。これは単なる「箱物」ではなく、高度な安全性、精密な温度管理、革新的な燃焼技術など、総合的なエンジニアリング力が不可欠である。まさに日本が長年培ってきた強みが生きる領域である。
量で中国や韓国に対抗するのは現実的ではない。だが、環境性能と信頼性という質の競争で主導権を握ることは十分可能だ。加えて、金融や商社、海運との連携を強め、建造から運航、資金調達までを一体で提案する「日本型海事クラスター」を再構築できれば、国際競争力は大きく高まるだろう。造船業は国家のインフラ産業であり、エネルギーと物流の根幹を担う。海を制する者が世界経済を支えるという構図は、今も昔も変わらない。半世紀にわたりこの産業を見続けてきた一人として、日本の造船業が再び技術立国の象徴として世界の海に存在感を示す日が来ることを強く期待したい。

以 上 廣島輝文(1027)