赤堀智行会員(899)は、昨年末発刊した日本再発見紀行第4集で「渋沢栄一男爵によって開拓された十勝清水」をテーマに、北海道十勝清水を執筆されました。
今般、赤堀さんより、十勝清水のみなさまに発刊を報告して大変喜ばれ、地域の役場・病院・学校等に広く寄贈した旨の報告がありました。
第4集を契機に、地域とDFのつながりを深めた事例として紹介します。
――――(以下、赤堀さん報告)―――――
第四集の執筆の機会を頂き、「渋沢栄一男爵によって開拓された十勝清水」のテーマで掲載した。
渋沢栄一は、明治初期の日本の産業の実状より農業の必要性を説き、そして大規模農法を取り入れるべき適正地調査を行い、最終的に現在の北海道十勝清水を最も相応しい地として選んだ。120年前のこの地は未開の地であった。開拓当時は野獣から身を守り、満足な食糧や道具もなく、想像を絶する苦難に耐えて原始の樹林と闘いながら先人たちは今日の基礎を築いた。
そして多くの先人たちの不撓不屈の開拓者精神が脈々と後継者に継承され、今では日本の農畜産業の基地となっており、渋沢の開拓にかけた功績は大である。
私は数年前より渋沢栄一研究を行っており、我故郷である十勝清水の開拓に関わった渋沢栄一を、この度の機会に取り上げた。十勝清水の開拓に関わった子孫や役場、教育委員会との面談を数年行い、また種々の協力も得て出版に至った。
出版後は、協力機関への挨拶と第四集の配布を行い、役場は無論、金融機関、郵便局、病院、開拓に関わった子孫や地域の方々からは大変喜ばれ評価を頂いた。また、教育長より小学校・中学校・高校へ配布したいとの要望で全校への配布も行った。
今年は、1万円札の発行があり、渋沢のゆかりの地でもある清水町では、いろんなイベントが開催され、渋沢と関りのある全国の地から関係者が多数訪れている。特に、東京北区は渋沢記念館の地であり、北区区長や議員団、友好都市として30名の児童たちもイベントに参加した。(CO2削減に向けた記念植樹祭等)
このように渋沢栄一の功績研究を地元の協力を得ながら出版に至り、清水町関係者に評価され、渋沢ゆかりの地との友好関係にも協力出来、この度の日本再発見紀行の出版の意義は大きかった。
◆北海道十勝清水町ホームページ(https://www.town.shimizu.hokkaido.jp/)
以 上(見目久美子)